○4歳の頃、電卓をいじってたとき「×(かける)」の意味が何かわからず母
に聞いたところ、大人の足し算と教えられた。
○叔父は大まじめにこう言いました「血圧はかると死ぬぞ」。その言葉をずっ
と信じていたので、中学校に入学したての頃にあった健康診断で血圧を測るの
にただならぬ恐怖を感じました。先日も測りましたが、やはりあのときの叔父
の言葉がはなれず、怖ろしかったです。
○幼いころ食べた後すぐに寝転がると牛になると言われていました。しかし私
の母の実家には、農耕用の牛が一匹いました。母の里帰りについてくたびに
この牛は誰だろうと思い「おまえは誰だ」と必死で牛に話しかけていました。
○幼き日少食だった私は食事のたびに「『見たぞ』が来るよ!」とおどかされ
ていました。『見たぞ』とは、母が創作した妖怪(?)らしいんですが、要する
にご飯を食べない子供を「見てる」らしいんです…よく考えたら別に怖くも何
ともないですよね。見てるだけだし。でも、子ども心には怖かったです。
○中学生のころ、友人が技術家庭の試験で実線、一点破線、などと答える問題
で「 線」という解答欄に書いた解答「スタンハン線」。呼び出しビンタ
二発でした。
○国語のテストで「『無』で始まる三字の熟語を答えなさい。」というのがあ
ったが(解答例は「無意識」や「無関心」など)ある男子の解答に「無人君」
と書いてあった。
○保健体育のテストの問題の「骨折した時ちくわで固定するのはダメな理由を
述べよ」に友人は「おいしそうで食べちゃうから」と書いて、まるをもらって
いた。(正解は[柔らかいから]である。)
○私の後輩は、高校3年の一般常識のテストで、自分の座右の銘を書きなさい
の質問に「宮本さん。」と書いた。
○高校の世界史のテスト「宗教改革を行ったマルティンルターは何人(注なに
じん)でしょう。」という問題に対し、大勢が「一人」と解答。最終的にはそ
れも正解ということになった。
○友達が、ラルク・アン・シエルについて話しかけてきたが、発音が早かった
ためうまく聞き取れず、思わず「猿岩石?」と聞き返してしまった。
○子どもが生まれたときのこと。おばあちゃんから「お祝いは何がいい」と聞
かれて、妻の要望で「ミキハウスの子ども服がいい!」と答えました。数日し
て届いた子ども服には「ミッキーマウス」がついていました。
○わたしの職場の同僚は、食事の際健康に気をつかい減塩味噌汁を飲んでいる
にもかかわらず、ごはんはイカの塩辛で食べていた。
○私の友達は「燕尾服」を「塩ビ服」だと勘違いしていました。
○8月創刊の雑誌の創刊コピー「かつてないスケールでお届けする」のところ
が「かつてないスケジュールでお届けする」と書いてあった。いそがしいんだ
なと、思った。
○小学5年生に上がる年の春休み、母に『大事な話があるから…』と正座させ
られた。何でも担任の先生から電話があり、生活態度について注意を受けたと
か。普段より落ち付きがないと言われてはいたが、まさか新学期が始まる前に
先生から注意されるなんて、と半べそをかきながら母の話しを真剣に聞いてい
る私に母が言った一言。『四月ばかさ〜ん』
○私が幼稚園、兄が小学4年生の時、人魚姫の絵本を見て「どうして胸に貝が
ついてるの?」と聞くと、兄は「警察につかまるから」と答えました。
○小学生の時、近所でくしゃくしゃになった一万円札を拾いました。まだ心が
すんでいた私は、どうしていいか分からず、家に帰り母に相談しました。する
と母が、「しゃあないな、これ三枚と換えたるわ」と、千円札三枚を惜しそう
にくれました。
○家庭科のテストで。「このビデオからテスト出すからね〜」といわれて、み
んな必死で一生懸命メモを取りながらカルシウムに関してのアニメっぽいビデ
オを見た。テストの問題には「この(ビデオに出てきた)キャラクターの名前を
答えよ」とあった。
○国語のテストで「言葉」と「その意味」を線で結んでいくのがあったのです
が、弟は「平らげる」と「山の上の平らなところ」を結んでいました。
言うまでもなく「いただき」と「全部食べてしまうこと」も結ばれていました。
○高校の時、地理の授業でいつも「シベリアでは、本当に声が凍るんですよ」
と言っていた先生が試験の時に「シベリアでは声が凍るか」と言う問題を出し、
真面目に回答すべきか、先生の通説通りに回答すべきかでみんな迷っていまし
た。
○国語のテストで「〜ぼう」という言葉を3つ書きなさい、という問題が出ま
した。私は「おこりんぼう」とか「さみしんぼう」とか書いたのですが、ある
男の子がテストを回収した時に「おれ、ひとつしかかけなかった」と難しい顔
をしていたのでみてみたら「アイスのぼう」となぐり書きしてありました。
○塾で国語の教師をしていたときのこと。「森羅万象」という漢字の読みを出
題したところ、「もりらんまる」などの珍答が続出。中でも本人の苦しみを感
じたのは「なうまん」の答えでした。オレ的満点。でもバツ。
○私が経験したので一番すごいと思った試験は中学最後の理科の試験です。
それは記号選択式だったのですが、全部解答すると解答用紙に『ソツギョウ
オメデトウ…』という内容の先生からのメッセージが!これを徹夜で作った
先生の根性に感銘しました。いい思い出です。
○先日、マンションを出たら雨が降っていたので、傘を取りに家に戻りました。
駅までは傘をささず走ってましたが、信号でふと立ち止まり、回りの視線に気
づき、持っていたはずの傘をみると、なんと、クツベラでした。
クツベラをにぎりしめ、猛ダッシュしていた姿を思い出すと、我ながら恥ずか
しい限りです。
○病院で「明日は検査なので、ご飯を食べないでくださいね。」と言ったら
パンを食べてきたお婆さんがいた。
○ニュースで「大阪府警が…」と聞くたび、「大阪の婦警さんって、なんて
パワフルなんだろう」と思ってました。
○空港で働いていた時の事です。お客様の手荷物に間違った荷札を付けて、カ
ウンターの後ろにあるベルトコンベアに流してしまった事に気がつき、先輩に
その事を報告したところ「すぐにその荷物を持ってらっしゃい!」と怒られま
した。そのスタッフは「はいっ!」と駆け出したと思いきや、いきなりベルト
コンベアに飛び乗って、ひざを抱えて小さくなり、他の荷物と一緒にカーテン
の向こうへ消えていきました。
○父に、レコードはどうして音が鳴るのと質問したところ、「平べったい人が
入って歌を歌っているからだよ」と教えてくれました。
○おばあちゃんに、湯飲みで「はったいこ」と砂糖を水で練ったものを、舐め
させられ「おいしいでぇ。チョコレートやで」と言われていたが、幼稚園の遠
足でみんなが持ってきたチョコレートを見て衝撃を受けた。
○「お母さんから産まれて来たのに、どうして僕はお父さんに似ているの?」
と母にきいたら「毎日顔を見ているからだよ」と言われた。それから毎日、
千葉真一(当時すごくかっこよかった)の写真を眺めていたがお父さん似のま
ま変化しなかった。
○幼稚園の頃、7歳になったら階段のいちばん上から飛び降りないといけない
と母親に言われ、毎日階段の上から跳ぶ練習をしていたが途中までしか出来ず、
7歳になるのが恐かった。
○幼い頃、エルビス・プレスリーのポスターが家にはってあり、「これ、誰?」
と母に聞くと「お父さんの友達よ」と言われた。プレスリーがアメリカの大ス
ターだと知った小学生のとき、家に来た友達に、自慢しまくってしまった。
○小学校3年生の頃、親から「親に言えないヒミツを入れておく鍵付宝物入れ」
をもらった。「給食のコッペパンを残してドブヘ捨てたことヒミツ」と書いた
紙をしまっておいたのに、合鍵を持っていた親にしっかり見つかり、叱られた。
こんなのずるいよね。
○中学二年のとき地理のテストで地図の等高線を見て地形の名前を答えるとい
う問題がでました。正解は「尾根」だったのですが、私は漢字を間違え「屋根」
と書いてしまい、大笑いされました。でも笑ってた隣の子の答えは「骨」でし
た。
○「バスケットコートの中心にある円形の名前はなんというか」という問題に
「ミステリーサークル」と答えてしまった。
○小学生の頃、国語のテストの問題で「なんと〜だろう」という文章を作りな
さい。という問題があり、「南斗水鳥拳で死んだんだろう」(もちろん平仮名)
と答えた人がいました。
○先生が「尊敬という字が書ける人」と質問したら元気よく手を挙げ、黒板に
大きく「そんけい」と書いた友人がいた。幼心にこいつは大物になると思った。
○日本史の試験問題をすべて「クロスワード解答式」にしたところ、保護者か
ら苦情が出て大変だったらしい。
○小学校三年の国語のテストで「次の漢字を読みなさい」という問題がでまし
た。一問もわからなかったのですが、何も書かないのはくやしいので、
「読みました」と、書きました。返ってきたテストを見ると、「聞こえません」
と書いてありました。
○社会のテストで問題と解答用紙が配られている時、最前列の生徒が「
○宣言」
という解答欄を発見。後ろの生徒に「3番の答えは『ポツダム宣言』だぞ!」
とひそひそ声で知らせた。その答えはどんどんその後ろ、そのまた後ろの生徒
に伝えられていった。採点時、いちばん後ろの席の生徒の解答用紙には
「ポンタ宣言」と書かれていたそうだ。
○私の父は、ビデオのリモコンにある「入力ボタン」のことを「じんりきボタ
ン」と呼んでいる。
○白黒写真を見て、昔は色がなかったと思っていた。
○以前、近所を車で走っていたら、背広を着てネクタイを締めた人が全力疾走
をしていました。何だろうと見てみると、後ろから白い長い帽子を被ったコッ
クさんがオタマを振りかざして何かを大声で叫びながら全速力で追い掛けてい
ました。食い逃げ?…初めて見ました。
○「この曲、雰囲気良いのになんで『ゴチ』なんて言葉使うんだろう?」と
勘違い王の先輩の一言。バックには鈴木雅之・菊池桃子の「渋谷で5時」が
流れていた。「きょ〜う、渋谷で『ゴチ』(ご馳走になります!)」なんて
あのふたりで歌うか!
○10年前、彼が友人と一緒にレストランへ行った時の出来事です。彼がおも
むろにテーブルの上に冠のような形で折りたたんであるナプキンを手に取り、
頭の上に乗せたのを見て、友人は「随分キツイ冗談やなぁ」と言ったところ、
なんと彼は、本気でそうするものだと思っていたそうです。
○「おとーさん ぼく にくしょくきょうりゅう すきだけど、しょうしょく
きょうりゅう も すきだよ」 想像するだけで弱そう…。
○公園で団子虫を見つけた幼稚園年少組に入りたての娘。 「これなに?」
「だんごむしだよ。おどかすとまぁるくなるんだよ。」
「わっ!…わっ!わっ!…ねぇ、おとーさん、まぁるくならないよぉ!」
○小学1年の時、お小遣いが1日50円でした。ある日「月に1000円やる」
と言われ、なんの疑問も持たず喜んで受け取りました。
○小学生のころ先生に「絶対誰にも見せないから先生の通知票をつけてごらん」
と言われ、その先生が嫌いだった私は素直に嫌いなところを並べ評価してやっ
た。ところが先生はそれを保護者懇談会で母に見せ、家に帰ってからすごく怒
られた。あとから聞くとみんなお世辞をならべたらしい。
○お母さんに「新快速には右足から乗るのが礼儀」と言われて、高校を卒業す
るまでJRの新快速列車に乗るときは必ず右足から乗り込んでいた。
○小学校2年生くらいの頃、玄関先で釣り竿の修理をしていた父に「それ、
何作ってるの?」と聞いたら「娘ドツキ棒」と笑顔で答えられたので、その
まま家出しました。
○私がまだ小学1年生のとき先生が「明日は身体検査というものがあって、み
んなパンツ一枚になるんですよ」と言いました。次の日ある友達が、おばあち
ゃんを引き連れて登校してきました。おばあちゃんの手にはその友達の服があ
り、友達はパンツ一枚で登校してきたのです。
○近所の女の子が歌手志望だった。なのにある日、それをあきらめたというの
で、なぜかと聞くと「お母さんが、歌手になるには、毎日ナメクジを食べない
といけないのよって言ったから」と涙ながらに断念した理由を語ってくれた。
それを聞いて、すごく彼女に同情するともに、山口百恵や、桜田淳子はすごい
なあ、って思っていた。
○倫理社会のテストで「立礼の種類を3つを書きなさい」という問題でなんだ
こりゃと思いながらも「交通標識、宣伝用、場所の名前」と書きました。答え
は「最敬礼、敬礼、会釈」でした。
○小学校のころ、国語のテストで「〜らしい」をつかい、文を完成させなさい
という問題が出たのですが、友人は「名犬らしいは賢い犬だ」と回答していま
した。
○「正解をア〜オから選び、かつ選んだ理由を記せ」という問題に対する友人
の回答「ア、勘で選んだ」。
○「板垣退助が襲われて負傷したとき、言ったとされる有名な言葉は?」とい
う問題。答えは「板垣死すとも自由は死せず」なのですが、弟の解答欄には、
「ぐはッ」と書かれていました。
○漢字読みの問題で「扉」を「どあ」と読んだ。
○「バスケットボールは何によってゲーム開始されますか?」との問いに友達
は「笛の音」と解答して先生を困らせていました。
○卒業式で父母に配布する印刷物の中に「合唱曲タンサイボー行進曲」と誤植
があり、直前になって刷り直ししてもらったことがありました。
○子どもの頃(戦時中)、祖母がチョコレートを食べたように思ったので
「おばあちゃん何を食べたの」って聞いたが「なにもたべていないよ」って
口を開けて見せて呉れたが口の中には何も入っていなかった。私もそのよう
な年頃になってあれは入れ歯だったんだと60年ぶりにやっとなぞが解けた。
○今日、「米の田村」なのか「村田の米」なのかわからない軽トラとすれ違い
ました。
○香水を見ていた私は「EAU DE TOILETTE(オードトワレ)」をトイレットと
読み、トイレ用と勘違いし、必死で体についてしまった臭いを消そうとした。
○帰りが遅くなり、暗い夜道を一人で歩いていました。すると、後ろからヤン
キー車がきて、私の横に止まりました。
「ラスベガスってどう行けばいいんけ?」(富山弁)
と、聞かれ、ラスベガスといえばパチンコ屋しか思いあたらず、しかも、どこ
にあるのかもわからなかったので「さぁ…。」と答えたところ、
「飛行機で!!アハハハハー。」
笑い声だけを残して、ヤンキー車は、走り去りました…。しばらくあっけにと
られて動けませんでした。
○昔、誕生日は「おかあさん、産んでくれてありがとう。」と子どもから母親
へプレゼントを贈る日だと教えられた。みんながプレゼントをもらっているの
を知って衝撃をうけた。
○私がまだ3歳くらいの時、猛烈に忙しかった父が9時過ぎにおみやげにブド
ウを持って帰ってきた。久しぶりに父にあって大騒ぎの私だったが「おなかを
こわすといけないから明日の朝たべなさい」と諭されておとなしくベットへ。
次の朝わくわくしながら起き出した私に、両親が申し訳なさそうな顔をして
「ごめんね。冷蔵庫に入れ忘れたらこんなになっちゃったんだ…』と、干し
ぶどうを指差しながら言った。
○小学校2年生くらいの頃、玄関先で釣り竿の修理をしていた父に「それ、
何作ってるの?」と聞いたら「娘ドツキ棒」と笑顔で答えられたので、その
まま家出しました。
○子どもの頃から、父に「寝言をいっている人に話しかけると、その人はその
まま夢の世界に行ってしまって帰ってこれなくなって、死んでしまう」と言わ
れた。つい最近まで、本当に死んでしまうと思っていた。今でもまだ少しそう
思っている。これって、うそですよね?
○1円と5円で5円と教えられそれを信じ込んでいました。
○ちいさい頃、父の仕事で福島へ一緒に行った。途中「あれが富士山だよ」と
教えられ、うれしくて絵日記にして幼稚園にもってった。あの山が岩手山だと
わかったのは中学生の時。私は秋田人です。
○まだ幼稚園に行ってた頃、父がプロレス好きなので、よく一緒に見ていまし
た。でも、プロレスというものは何なのかわからず、ある日父に「どうして
いつもものすごい喧嘩してるの?」と聞いたところ、父は「勝ったらグリーン
ガムがもらえるんだよ」の返事。しばらくの間私は「グリーンガムの為にあそ
こまでして戦うなんて、すごい!」と思い込んでました。
○小学校に入ったばかりの頃、初めてのテストらしき事をやった。問題に「あ
なたが元気に学校へ入った日は何といいますか?」と書いてあったのだが、い
くら考えてもわからないので「げんきのひ」と書いて出した。しかし、テスト
を集めるとき、他の子の回答がチラっと見えて、そこには「ぬうがくしき」と
書いてあったのを見て「そうだ、確かそんな名前だった」と、頭に電撃が走っ
たようなショックを受けた。
○小学1年の時、「次の言葉の反対語(=対義語)を書きなさい」という問題
で「おおい」の反対に「なんだい」と書きました。
○国語のテストで「〜ぼう」という言葉を挙げなさい(例)甘えんぼう、とい
う問題が出た。小学生だった兄は「うまか棒」と答えた。
○国語のテストで『もしも 〜(なになに)なら』を使って単文を作れという
問題に『もしもしならけんの人ですか』と答え、みごとに×がついていました。
○小学校2年生の理科のテストで「太陽はどちらの方向から昇り、どちらの方
向にしずみますか?」という問題があり、「地球がまわっているので、太陽は
動かない。」と答えを書いたらバツだった。
○冬休みの友の問題に「あなたはなんまいねんがじょうをもらいましたか?」
という問題がありました。その年、私は年賀状をもらっていなかったので、
「0まい」と答えました。ところがその問題はえんえんと「誰からもらいまし
たか?」「それには何が書いてありましたか?」と続いており、そのたびに私
は「もらわない。もらえない。」と、微妙にニュアンスを変えて一生懸命答え
ました。
○小学生のとき、ひらがなのテストがありました。それは、決まった字数で絵
に描かれたものの名前を答えるという問題だったんです。「なす」の絵がかい
てあって字数が3つだったので『おなす』て書いたら先生にあとで呼び出され
こう言われました。「ここは『なすび』って書いてね。濁点の練習だから」。
○高校時代、野球部の壮行会があって、生徒会長が野球部員に向かって「皆さ
ん、精一杯頑張って下さい」と言うべきところを「皆さん、せいぜい頑張って
下さい」と言っていた。
○女子プロの中継でアナウンサーが「女子プロレス界最強の男!」と叫んでお
りました。気持ちはわかります。
○あるソフトメーカの「ユーザ登録ハガキ」整理のアルバイトをしていた時の
話。アンケート欄の「御使用のパソコン環境について」のところに、
「四畳半一間」と記入してあるハガキがあった。
○今度小学校に入学するうちの子は、舌っ足らずなのか「さしすせそ」が
「ちゃちぃちゅちぇちょ」になってしまいます。先日「もうすぐ1年生なんだ
から赤ちゃん言葉はやめて、もう、ちゃんちゃん言わないようきをつけなさい」
って注意しました。その夜リカちゃん人形の箱に「リカさんにんぎょう」と書
いていました。
○居酒屋でのんでる時に友達が「あったかいモモンガ欲しい」、と言うので、
「なぜ急に?」と思って聞き直したら「あったかいのみもんが欲しい」でした。
○私のクラスの委員長は衛星放送WOWOWの言い方を間違えて「オレの家な、
昨日から『をうをう』見れるようになってんでぇ。ええやろ」って大きな声で
言ってました。
○「車のスピードを出しすぎた時になるアラームが3分鳴り続けると車がばら
ばらに自動分解される」高速で聞かされたこの話。スピードをだせーだせーと
騒ぐ子どもをおとなしくさせるためのウソだったのだと思うのですが、アラー
ムが鳴り出した瞬間、子どもの私はパニックに陥ってしまい、父にスピードを
下げてくれるよう必死で頼みこんでいました。父は、それをおもしろがってい
た節があります。
○叔母の口癖は「嘘をつくと尻に松が生えるよ!」でした。それも、半分怒鳴
るようにして言うものだから、そのたびに鏡の前で念入りに調べていたのを、
たまに思い出します。
○幼稚園の頃習っていたクラッシックバレエの発表会で、先生に「上手く踊れ
たらテレビに映るかもしれないよ」といわれ、発表会後から1年ぐらいテレビ
に映るのをわくわくしていました。
○子供の頃、近所の子供たちとシャボン玉をしていたら、酔っ払ったおじさん
が、「吸っても、シャボン玉でるぞー」と、私だけ真に受け、飲んでしまった。
○誰に言われたのか忘れましたが、ブルドッグは豚と犬を掛け合わせたものだ
と教えられた。二十歳過ぎて友人と、この事で論争になり、賭けをして1円
取られた。
○私の通っていた高校で「スポーツテスト」をなぜ実施しないのかと担任にき
いたら、生徒計測および自己申告のため、「世界新記録」が続出したからだと
教えてくれた。
○小学校1年生の時、理科のテストで、「トライアングルを叩いて音が鳴って
いるときに、指でさわるとどうなるでしょうか?」という問題がありました。
答えは「音が鳴らなくなる」でしたが、私は「ブルブルしてて気持ちいい」と
書きました。もちろん×でした。
○夏目漱石の代表的な作品を三つ挙げよ、に「夏目漱石全集 上・中・下」と
解答したやつがいた。
○中学の時、大好きな国語の先生の試験でどうしても1問だけ答えられなくて
解答欄の上に「あぶりだし」と書いて提出したら、その先生はわざわざ薄墨で
あぶり出したように正解を書いて返してくれた。先生のそういうとこが大好き。
○小学生の時、「かっこの中に適当な文字を入れよ」という理科の問題の中の
二酸化炭素の作り方で、(石灰石)に(塩酸)をいれると(二酸化炭素)を発
するが正しい答えなのだが、(塩酸)に(とかげ)をいれると(奇声)を発する
と書いた子がいた。
○高校の部活に入ったばかりのころ、野球部では新人はボールに触ることもで
きませんでした。みんなが愚痴を言っていると陸上部の友人は「俺なんか初日
から走らせてもらってるぜ!」と自慢していました。
○ある日、自転車でこけて頭を打ち、救急車で運ばれた。病院では、看護婦さ
んが、意識確認の為に住所と名前を聞くのだが、あいにく私は引っこしたばか
りで、住所を覚えていなかった。えーと、えーとと悩む私を見て、看護婦さん
は一言。「先生、まだ意識がはっきりしていないようです」
○友人の結婚式で色打掛&カツラにお色直しをした姿を見て「うわ〜きれい。
それにおめでたいあたま〜。」と言ってしまった・・・・
○弟は、つい最近まで「ブラインドタッチ」というのは「太陽にほえろ」で石
原裕次郎がよくしていたようにブラインドを指でちょっと下げて外をみること
だと思っていたらしい…。
○ケーキやさんで、モンブランを頼むべきところを、あるおばさんが大きな声で
「その、モランボン6つ下さい」といっていました。
○ある日、お父さんとお風呂に入っていたらお父さんが、蛇口から水をのんで
いました。しばらくたってから、わたしは真似をして、お姉ちゃんの前で蛇口
から水をのみました。そしたらお姉ちゃんは真剣な顔で「あんた死ぬで!」っ
て言うんです。「お父さんも飲んでたもん」って言ったら「それは大人やしや
っ」って言われたので、一晩中だれにも言えず、心のなかで家族にさよならを
いっていました。…次の日になってもなんてことなく、こっそりお母さんにき
いたら、デタラメだったらしいです。
○写生大会の時チューリップを描いたことがありました。しばらくしたある日、
母が「入賞して届いたよ」とチューリップを私の手に渡してくれたのです。
翌年から私は、観覧車やメリーゴーランドなど大物に挑戦するようになりまし
た。
○なぜか脇毛がほしかった私は、母に「脇毛がほしい」とねだった。すると母
は「向かいのお店に売ってるよ」とこともなげに言った。お小遣いをためて、
買いに行ったのは言うまでもない。
○小さいころ、母の手の爪に塗られたマニキュアを見て、「どうやったらこん
なに赤くなるの?」と聞いたら「ドアに思いっきり指先を挟んで赤くするのよ」
と言われた。それ以来、今でも女性の指先を見るのが怖い。
○京都の大文字焼きに行ったときのこと。父が、点火するのだと言い、火のつ
いたままのタバコを鴨川に投げた瞬間に字が見えた。たてまえ上喜んだが、ニ
ュースの放火事件を見るたびに父を疑った。今は亡き父の、胸キュンの思い出。
○中学の時の地理の試験で、盆地の名前を答える問題がありました。どんなに
考えても思いだせないので、解答欄に「ザ」とだけ入れました。
○「削」という文字を使って単語を書け、という問題があった。皆、「添削」
「削除」「削減」など書いていたが、私は「削り節」と書いたら、2点多くも
らった。
○私の友達は小学校の頃、テストでわからなかった問題に「知ってるくせにき
くな」と書いた。そしたら先生から「ふざけるな」と書かれて戻ってきた。
○小学校の理科のテストで、「泥水があります。時間が経つとどうなりますか
?」という問題があり、答えは「沈殿する。」だったんですが、私の姉は「ア
メンボウがやってくる。」と書いて、×でした。「徒然草」の読みは「ぺんぺ
んぐさ」と書いていました。どちらも、昔はいつでも見ることができました。
○中学生のとき、「好々爺」は何と読むかと先生に指されました。「すきすき
じじい」と答えました。殴られました。
○知り合いのお子さんが学校で受けたテストに、「おさかなは1ぴき2ひき、
とりは1わ2わと数えます。では馬は?」という問題があり、「1ちゃく2ち
ゃく」と解答してあったそうです。
○ある日、兄貴の机の上をのぞきこみ、母がひとこと。「ちょっとお兄ちゃん
がへんな映画を見てきてるよ」そのチケットの半券には、『シティーオブエン
ジェル アダルト 18円』と書いてありました。
○ニュースで聞くたび、狂言強盗とは、般若などの能面をかぶった人が突然舞
いながら押し入ってきて、家の人がぼー然としている間に金を奪っていく事だ
と思っていました。これなら顔もばれないし完全犯罪だと感心したものです。
○「後から来たのに追い越されってどういう意味だ?自分が最後なのに、なに
に追い越されるんだ?」とひじょーに悩んでいた友人がいた。あまりに面白い
のでいっしょに悩むふりをし続けたのは私です。彼は今も水戸黄門の主題歌を
難解な哲学ソングと思ったままなのだろうか。
○5歳になった息子。先日突然「おかあさん、えーっと、あの鳥なんて名前だ
っけ。は〜ぁ、白血球、って、鳴くヤツ。」と聞いてきた。ウグイスのことだ
った。
○幼稚園生のとき、自分は十二支で言うと「いのしし」だということを知った
私は早速母親に「お母さんとお父さんは何年?」と聞くと、母は「お母さんは
きつね年で、お父さんは、ゴリラよ。良く似てるでしょ」と言った。今考えれ
ば、私が外で話をして年がバレるのを恐れた上での発言に違いない。
○父がくしゃみをしたときに母が「ホイナ」と返事をしました。「どうしてホ
イナなの?」ときいたら「くしゃみをしたときは、誰かに『ホイナ』と返事を
してもらわないと魂が抜けちゃうんだ」と教えられてビックリ!周りに人がい
ないときは自分で返事をするのだ、と教えられました。
○従姉妹と小学生3年生の夏休みにプールに行ったとき、
左の脇の下にほくろ
があるのを従姉妹に発見され「脇の下のほくろはどんどん大きくなって、11
歳の誕生日に爆発する」って言われた。すごく怖かった。小学校6年生の時に、
ふと思い出し、大きくなってないほくろをおっかなびっくりシャープペンでつ
ついてみた。爆発しなかった。
○「大人になればわかる」など大人の言い訳と思っていたがその通りだった。
○ある喜劇番組で、日本人が外国人に「ディス・イズ・ア・ペン」と言って笑
いをとっていました。母に意味をたずねると、「英語がしゃべれません」とい
う意味だと教えられました。その後私は外人を見るたび「ディス・イズ・ア・
ペン」と言っては、相手を困らせていました。
○『この小説の感想をかけ』っていう問題で、隣の男子は『感動して涙で目が
いっぱいで書けません』って書いてました。
○知人が、歴史のテストの時に「安藤広重の描いた浮世絵は?」と言う問題に
対し「津軽海峡冬景色」と答えていました。(正解は「東海道五十三次」)
○社会の問題で、昔、絹の道と呼ばれて貿易で使われていたものをなんという
かという問いに、「シルク・ドーロ」と答えた生徒がいました。